夢はあってもいい、なくてもいい〜中村文昭さんの講演を聞いて〜

夢は、希望になるなら持てばいい、重荷になるなら持たなければいい。

 

夢を持って、ひたむきに頑張り、成功した姿ってかっこいいし、勇気と希望をもらえる。

「夢」っていう言葉は、そんな輝かしくて明るいものなんだと思う。

 

でもその一方、「夢がない」ことで劣等感を感じてしまうようなこともあるわけで。

「夢」に希望を見出せるならそれは素晴らしいけれど、劣等感を感じるくらいなら「夢」は持たなくてもいいと思うわけです。

 

先日、中村文昭さんの講演会を聞いてきました。
その中で、今までぼんやりと抱いていた思いがスッキリしたエピソードがあったんです。

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「夢がない」ということをコンプレックスに感じていたという、18歳の頃の文昭さん。

その頃出会った師匠に次のような言葉をかけられたそう。

 

「たかだか18年しか見ていない狭い世界の中から、人生を決めたらいけない。夢にも思わないような人生を生きろ。」

 

そこからの人生で色んなことに挑戦し、年間300回の講演をこなすという夢にも思わないような人生を生きてこられたそう。

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道を決めて歩くのが得意な人は「夢」に向かって走ればいいけれど、「夢」に囚われず、自分の進みたい方へ変化し続ける生き方も素敵なんじゃないかと思います。

少なくとも「自分には夢がない」、「夢を持たなくちゃ」と焦る必要はないわけで。

 

そもそも夢ってなんなんだろうなって。

人それぞれ、いろんな夢の考え方があるんじゃないかなと思うんです。

 

人生で小さな「夢」や大きな「夢」がいっぱい並んでいるのかもしれないし、一つの「夢」が一生の中で変化し続けるのかもしれない。

やりたいことを続けていれば「夢」がなくても楽しく生きていけるって考え方もある。

(他の人から見たら、それが「夢」だと考えるかもしれないし)

 

夢ってかっこいいとかキラキラしてるみたいなポジティブな捉え方があったり、反対にダサいとか重たいっとか思う人もいたり。

一人の人でも時期によって、考え方は変化する。

 

夢を持つにしろ持たないにしろ、そういうのって色んな人に出会ったり、色んなことを経験したり挑戦していく中で、長い年月をかけてちょっとずつ見えてくるものなんだと思う。

 

僕自身、高校生になっても夢もやりたいこともなくて。

進路を決めなきゃならない時に、「幼稚園児との交流が楽しかったから」っていう理由で、幼稚園教諭の免許がとれる大学を選んだ。

「先生になる」って道を決めると、やることが明確になった気がした。

勉強もしたし(多分)、安心感みたいなものもできた気がする。

 

でもいざ先生になってみると、どこか違和感を感じる部分があって、結局は辞めてしまった。

それは多分、自分が好きだったのが「子どもと遊ぶこと」で、「子どもを教育すること」じゃなかったからだと思う。

 

ただ、当時は「子どもと関わる仕事=先生」としか知らなくて。

今は不登校の子どもたちと関わるようになって、自分の本当にしたかった子どもとの関わり方ができてる気がしてる。

それは、知らなかった選択肢だから、当然夢にも思っていなかった道でした。

 

僕は今「夢」はないけれど、やりたいことはポツポツと出たり消えたりしてて。

上書きするし、削除もする、下書きに保存しっ放しのものもある。

 

先に描く夢がなくとも、今やりたいことにただ精一杯打ち込む時間っていうのは、未来に繋がる大切なものなんじゃないかなぁ。

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