取り柄って、なくてもいい

僕は割とネガティブで、自分には得意なことがない、何をやっても中途半端、あの人はこんなにできるのになぁ、とかずっと思ってました。

取り柄がないというか、個性がないというか。

 

ただ、この1年くらいは自分を見つめ直す時期で、色々と考えも変わってきたんです。

鬱でマイナス思考が頭を支配して起き上がれなくなるようなネガティブのどん底を見て、這い上がってきた感じなのかな。

つまるところ、誰にでもできることだって、自分の価値なんじゃないかと。

 

そう思えたきっかけはブログを始めたことで。

鬱のネガティブ思考を追い出すために、過去の旅について書き始めたんですね。

誰に向けたわけでもなく、自分の記録として残しておきたかったから。

完全に自己満足だったわけですが。

 

でも、ある時「面白い」とか「勇気をもらえた」みたいなことを言われることがあったんです。

「あ、そうか、こんなことでも誰かの役に立てるのか」って。

そこから「読んでくれる人に向けて書こう」と思うようになったんですね。

「なんでもない」と思ってた経験が輝き出したんです。

 

何かを発信するとき、同じような発信をしてる人はいるかもしれないんですけど。

そこで「どうせこんなことやってる人いっぱいいるし」って書くのをやめれば、それまでだったんです。

僕はあんまり気にせず、自己満足で書いてたから良かったのかもしれない。

 

でも実は自分が発信できる内容のすべてが、誰かと同じではなくて。

教師は世の中にたくさんいるし、1人旅が好きな人もたくさんいるし、鬱を経験した人もたくさんいるし、ブログを書いてる人もたくさんいる。

ただそこにはそれぞれに自分にしかないストーリーがあって。

 

自分のストーリーのはずなのに、どこか読んだ人の経験とリンクして、共感を生んだりする。

読んだ人が勇気を貰えたりする。

「自分にもできるかも」と思ってもらえたりする。

 

経験は、似たような境遇にいる人の心に刺さるんだと知りました。

鬱みたいな最低な経験も、苦しんでる人に寄り添えるアイテムになりました。

 

あと、僕にとって「子育て」は未知の世界で、「会社員」は未知の世界で、「不登校」も未知の世界なわけなんだけど。

そういった経験は僕にはないから当然語れなくて。

僕も含めてそういう話を聞きたいという人は世の中にたくさんいるし、とても大きな価値があると思うんです。

最近では子どもにあやとりを教えてもらったんですけど、あれもめちゃくちゃ大きな価値だと思います。

 

今僕は、何も取り柄がないから、文章を書いてるんですけど。

絵も描けないし、ピアノもギターもできないし、球技とかも大の苦手で。

 

今や「1億総ライター時代」って言われる中、ライターを語ってるんですよね。

Twitter、Facebook、インスタ、ブログ、Youtubeと、みんなが発信するようになって、書いてない人なんてきっといない。

語弊を恐れずに言うなら、「書く」なんて誰にでもできるわけで。

 

ただ、誰でもできることでも、誰にも書けないことは書けるんですよね。

自分の経験は、自分にしかないから。

 

うーん、上手くまとまらないけど、大事なのは取り柄とか能力じゃなくて、経験とか価値観とか、その人らしさなんじゃないかなぁ。

すべての経験は自分のかけがえのない価値なんだし、いくらでも人の役に立てることができる。
もちろん書くだけじゃなくて、表現する手段はたくさんあるわけで。

ちょびっとでもそんなことが実感できると、次に繋がったりして。

 

だから、自分で勝手に「どうせ」と思わず、色んなことを表現していきたいと思うわけです。

小さな歯車を回してみないと、大きな歯車も止まったままだから。

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