このページでは、「はら旅ブログ」を運営者はらの紹介とブログの運営方針等を紹介していきます。
はらってこんな人
旅が好きな、元小学校教諭のフリーライターです!
名前:はら
性別:男
出身:滋賀県
<職業>
旅人、不登校の子どもの居場所、ブロガー、フリーランスライター
<経歴>
日本一周→小学校の先生→海外270日間一人旅→再び小学校の先生
→適応障害で休職→ブログ運営→フリーライターとして独立
<はらの旅経験>
車中泊で日本一周、
カンボジアボランティア、
270日の海外一人旅
(フィリピン留学、オーストラリア一周、南米陸路旅、アメリカ旅)
etc・・・
<趣味>
旅、ブログ、オカリナ、テニス、
ボルダリング、読書、漫画、ゲーム、映画
etc・・・
<好きな漫画>
名探偵コナン、ONE PIECE、ドラゴンボール、
NARUTO、ハンター×ハンター、
キングダム、東京喰種、鬼滅の刃、
BLEACH、アイシールド21
etc・・・
オカリナを吹きながらオーストラリアを一周して、稼いだ10万円で南米へ飛びました。
小学校の先生を辞めた話はnoteに書きました。
こっちはちょっと真面目なお話。
→はらのnote
はら旅ブログについて
はら旅ブログの目的とテーマ
このブログの目的は、僕の人生の経験で誰かを少し幸せにすることです。
はら旅ブログのテーマは「旅するように自由に生きる」こと。
「無理せず」「自分らしく」「自由に生きる」ことが僕の人生のテーマでもあります。
あなたの人生にも、ほんの少し良い影響を与えられたら嬉しいです。
はら旅ブログの内容
このブログでは主に4つのことについて発信していきます。
・フリーランスの働き方
・自分らしいブログ運営
・自分を大切にする生き方
一人旅の完全ガイド
日本一周や270日間の海外一人旅の経験を生かした旅のガイドを作りました。
160記事くらいに渡って書いていますが、おすすめの記事は以下にまとめています。
フリーランスの働き方
フリーランスライターの働き方や現状をリアルにお伝えします。
正直なところ、良いことばかりではなく苦しいことも多いです。
本気でフリーランスを目指す人の疑問にお答えしていきます。
自分らしいブログ運営
4年間のブログの経験を生かして、ノウハウやアフィリエイト等について紹介していきます。
はら旅ブログは、僕のアウトプットを目的とした自由なブログでもあります。
収益化だけに執着しない、気楽な運営を心がけています。
自分を大切にする生き方
適応障害の経験から、自分を大切にする生き方について考えます。
自分がいっぱいいっぱいだと、他のことにかまっている余裕もなくなります。
人のためを思ったり、人に優しくすることもできなくなります。
まずは何より自分を一番大事に、それが僕の思いです。
ブログに本気で取り組み始めた経緯
自分が旅で得た情報や経験を
頭の中に置いておくのは
もったいない。
そう思い、旅の頃の記録のために
始めたのが最初のきっかけでした。
しかし、記事を書き続けていく中で、
・自分と同じようなことで
困っている人がいるんじゃないか?
・この情報は人の役に立つんじゃないか?
ということを考えるようになりました。
読んでくれる人のことを想像すると、
発信する内容について真剣に考えるようになったのです。
そして、今では「悩みを解決する」という目的をもって
ブログ運営に取り組むようになりました。
はらの旅
初海外はカンボジアボランティア
初海外は二十歳の時でした。
大学の先生に誘われ、
カンボジアへボランティアに
行くことになったのです。
現地の小学校の壁のペンキを塗り替えるボランティア。
そこで出会った日本とまったく違った風景や、
人の顔色を伺わない純粋な子どもたち、
英語をたくみに話すカンボジアの人たち。
たくさんの衝撃を受けたカンボジア旅でした。
学生最後の日本一周
どうしても社会人になって
時間に縛られる前に
今しかできないことやりたくて、
「日本一周」に行きました。
バイト先には
「クビにしてもらって構わないので、
3週間休みをください!」と
言って旅に出ました。
父の車を借り、7割車中泊、3割電車くらいで
47都道府県を全て回りました。
生まれて初めて、本当の自由を知った旅でした。
誰にも何も言われず、自分の思うがままに行き先を決められる。
ひとり旅にハマった最初の旅でした。
日本一周の話はこちらへ
3ヶ月のフィリピン留学
仕事を辞めた僕は、
270日間の海外一人旅に出ました。
その最初がフィリピン留学です。
全く英語を喋れなかった僕は、
日本語の話せないフィリピン人の先生と
毎日マンツーマンでのレッスンに取り組み、
英語を喋ることへの抵抗をなくします。
そして、仕事から解放されて学生気分に戻り、
フィリピン生活を楽しみ尽くしますw
フィリピン留学の話はこちらへ
オーストラリア1周
フィリピン留学を終え、そのままオーストラリアに飛びました。
最初の1ヶ月はシドニーで語学学校に通います。
その後、2ヶ月をかけてバスと飛行機で
オーストラリアを1周しました。
広大な自然。
ぶっ飛んだ人たちとの出会い。
日本にはない価値観。
そして、オカリナでのバスキング 。
人生を変えるかけがえのない大きな経験を
たくさん手に入れました。
オーストラリア一周の話はこちらへ
南米の陸路旅
さらに予定を変更し、南米へ飛びます。
バックパックを一つ背負い、2ヶ月半で
チリ、ボリビア、ペルーを旅しました。
アタカマ砂漠、ウユニ塩湖、
6,000mへの登山、世界遺産マチュピチュ。
ことごとく僕のちっぽけな想像の遥か上を行く絶景の数々。
二十歳までの自分では想像もしていなかった
壮大な旅でした。
南米陸路旅の話はこちらへ
仲間とのアメリカ旅
日本への帰り、アメリカへ立ち寄ります。
フィリピンで出会った日本人の仲間と
ロサンゼルスで集合し、
レンタカーで旅をしました。
ラスベガス、グランドキャニオン、
サルベーションマウンテンと、
オーストラリアとはまた違った
広大な景色を駆け抜けます。
一人旅もいいけれど、
やっぱり感動を共有できる仲間がいるのも
捨てがたいと感じた旅でした。
アメリカの旅はこちらへ
僕が旅に出た経緯
そもそも海外には微塵も興味なかった
20才になるまで、
つまり大学の3回生にまで、
僕は海外への興味が一切なかったし、
行ったこともありませんでした。
そもそも英語が嫌いだったし、
不便だし、絶対に国内旅行の方が
いいと思っていたくらいです。
英語が大嫌い、苦手だった
英語の単語なんて覚えたら覚えただけ、
最初にやっていた単語が抜けていく。
文法も意味がわからない。
頑張って勉強しても割りに合わないし、
とにかく英語が嫌いでした。
TOEICは180点。
・中一英語すら全く覚えていない状態
・少しでも勉強してたら
運だけでも取得できるレベルにも
達していなかった
そんなレベルの点数です。
きっかけは初めての海外
そんな海外に微塵も興味がなく、
英語に対して嫌悪感すら抱いていた僕に
海外へ行くきっかけが訪れました。
それが、カンボジアでのボランティアです。
大学の先生がカンボジアで小学校を
運営されているらしく、
「学校の壁のペンキ塗りをする
ボランティアをしてみないか?」
との誘いを受けました。
別に海外に行きたいと
思ったことはなかったわけですが、
なぜか「カンボジア」という
響きに惹かれるものがありました。
あんまり「カンボジアに行ってきた」
っていう話って聞かないなぁ。
なんだかその時から
「その辺の人がしていないこと」には
興味があったようです。
先生の誘いに乗って、
カンボジアへボランティアに行くことになり、
たくさんの衝撃を受けました。
日本に戻ってきて、
どこか心に残り続けた思いは
「英語が話せたら、
もっと現地の人と
交流できたのに」
という思いでした。
仕事を退職し、旅に出る
その後大学を卒業し、2年間社会人として働きますが、
「海外に行きたい」という思いは消えませんでした。
お金のこと、仕事のこと、恋人のこと。
僕を引き止める思いは強く、
旅に出る勇気はなかなか出ませんでした。
しかし、必要なのは勇気ではなく
“覚悟”だと気がつきます。
恋人とも話し合い、旅に出る覚悟を決めました。
そして退職し、旅に出たのです。
適応障害の話
帰国後小学校の先生になる
旅から帰り、この旅の経験を
これから出会う子どもたちに
返していこうと小学校の先生になりました。
旅に出る前も小学校で勤務していたのですが、
元々また戻るつもりでいたのです。
海外経験のある先生の方が
子どもに色んな生き方を伝えらると
思っていたからです。
実際に旅の話を子どもたちは
目を輝かせて聞いてくれました。
旅の大きな魅力に気づかされた
思いでもありました。
適応障害になる
しかし、仕事を続けていくうちに
僕は適応障害になりました。
夜眠れなくなり、
食事が食べられなくなり、
朝ベッドから出られなくなり、
夫婦の会話がなくなりました。
自分の人生が真っ暗になりました。
自分の生き方に疑問を抱く
適応障害になって休職し、
自分の生き方について
考える時間ができました。
毎日夜遅くまで残業し、
家に帰ったら夕飯を食べて
風呂に入って眠るだけ。
また次の日も朝早く出ていく。
時間外労働時間は
月に100時間を超えました。
土日も毎週出勤していました。
自分の人生の中に、
自分の時間、家族の時間は
どれほどあったろうか?
自分が学校で子どもたちに伝えていることは
本当に自分の正直な思いなのだろうか。
自分が「変だな」と思っていることを
子どもたちに押し付けていることは
ずっとモヤモヤしていた思いでした。
それを「教師」という立場で
勝手に正当化していた。
僕は押し付けることが、
指示することが、
教育することが、
好きではなかったのです。
自分が納得できていないことを
人に押し付けているようでは、
関わっている子どもたちも不幸にしてしまう。
僕は退職することを決意しました。
小学校の先生を辞めた話はこちらへ
フリーランスになる
ブログに本気になって4ヶ月
適応障害にかかり休職してから
時間がポッカリ空きました。
その中で放置していたブログに
本格的にのめり込みます。
ブログ自体を始めたのは、実は4年前です。
しかし、更新が2年間全くなかったり、
数ヶ月に1回だったりと
あまり力を入れてきませんでした。
しかし、改めて打ち込見始めると
本格的にハマることになりました。
フリーランスライターになる
2020年4月からフリーランスライターになりました。
信頼できるライターの先生に出会い、
これからは実績を積んで
仕事にしていこうと考えているところです。
ブログは今のところは趣味ですが、
はらという人間を知ってもらうための
ツールでもあると考えています。
また本格的に仕事としても
このブログを生かしていきたいと
考えているところです。