こんにちは、はらです。
日本一周第二弾、
岡山県の次は
広島県を訪れます。
日本一周で訪れた
47都道府県の中でも
特に印象深い場所の
ひとつである広島県。
今回は、
原子爆弾投下の歴史を刻む場所、
「平和記念公園」を訪れます。
平和記念資料館
平和祈念資料館へは、
修学旅行などで訪れたことの
ある人も多いのではないだろうか。
原爆の悲劇を知るには、
いや、日本人として訪れておかなければ
ならない場所の一つだろう。
世界に伝えるべき日本の大きな歴史、
ヒロシマの歴史。
広島と長崎以外にあった候補地
原爆が落とされたのは
広島と長崎であったが、
それまでの軍事会議では
京都や横浜も候補地に上がっていた。
広島と長崎が選ばれたのは
悲しいことであるが、
他の場所であったと考えても
ゾッとする思いである。
核の地球儀
平和祈念資料館を訪れたら、
ぜひ見てもらいたいのが核の地球儀だ。
どこの国が、どれだけの数の
核兵器を保有しているのかが
一目でわかる地球儀だ。
アメリカは8,000発、
ロシアは10,000発の核弾頭を
それぞれ所有しているとのデータ。
(2014年の写真)
冷戦時代にはその数倍もの
核弾頭が世界には存在していたのだ。
広島の原爆「リトルボーイ」
広島に投下された原子爆弾の名は
「リトルボーイ」。
「小さな少年」と呼ぶには
あまりにも恐ろしい兵器だ。
しかし、実際に現在存在する
最大の核兵器「ツァーリ・ボンバ」は
「リトルボーイ」の3300倍の
力があるという。
そんなものが作れる技術があったとして、
どうして作ってしまったのだろうか。
「平和のため」とは決して思えない。
悲劇を物語る展示の数々
胸が痛くなるような展示の数々。
ブログには載せられない
もっと痛々しい展示もあった。
しかし、目を背けてはいけない。
これが日本の受けた痛みであり、
この痛みを日本も
日本以外のどこの国も
再び味わってはいけないのだ。
平和記念公園へ
願いを込めたベンチ
「生きていることを誇りに思ってほしい」
平和記念公園には
いくつものベンチが並んでいる。
実は、そのひとつひとつに
平和への願いが記されているのを
ご存知だろうか?
ただ生きているという「当たり前」
それがどれだけの偶然が重なった奇跡なのか
ということを考え直したい。
逆に人間いつ死ぬかなんてわからない。
ただ毎日を後悔のないように生きたい。
「平和を願って世界のみんなと手をつなごう」
インターネットにより、
誰もが国を越えて
交流できるようになった現代。
もう国単位で争うことに
一体何の意味があるのだろうか?
その国に対する思いこみや
固定概念というものに疑いを持ちたい。
国同士の政治的な争いなどで
その国の価値を測るのは馬鹿げている。
印象の良くない国にこそ
自ら足を運んでみたい。
原爆死没者慰霊碑
世界で初めて原爆の被害を受けた広島を
平和として再建することを願い、
建てられた慰霊碑。
原爆犠牲者の霊を雨露から
守りたいという思いから、
屋根の部分は、
はにわの家型をしている。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
犠牲者になった方々の為にも、
過ちは決して繰り返してはならない。
平和の灯
「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」
という願いを込め、灯された火。
1964年に灯され、
今もなお燃え続けている。
原爆死没者慰霊碑を正面から覗くと、
直線上に「平和の灯」と
「原爆ドーム」が並ぶ。
祈りの像
終戦15周年にあたり建てられた像。
「大東亜戦争」を始め
国に殉じた犠牲者の慰霊と
平和への祈りを込めた記念碑。
原爆の子の像
2歳の時に被爆し、
10年後に白血病を
発病して亡くなった
佐々木禎子さん。
その同級生たちが、
「原爆で亡くなったすべての
子どもたちのために
慰霊碑をつくろう」と
全国へ呼びかけ、完成した像。
頂上には金色の折り鶴を
捧げ持つ少女の像が立つ。
左右の少年少女は
「明るい未来」と「希望」を
象徴している。
原爆の子の像の周りには、
平和を祈って折られたたくさんの
千羽鶴が展示されている。
動員学徒慰霊塔
被爆当日、市内で作業を行っていた
国民学校高等科以上の生徒約8,400人のうち、
約6,300人が犠牲となった。
遺族による募金活動によって
建てられた慰霊碑。
原爆ドームを見て考える
原爆のその傷跡を残す場所。
原爆の悲惨さを
実感させられます。
この世界に残すべき
とても重要な世界遺産です。
爆風が真上から真っ直ぐに
働いたため、奇跡的に形を残した
原爆ドーム。
平和を語り継ぐための
奇跡だったのかもしれません。
ボロボロの建物とは裏腹に
平和でのんびりとした時間が流れる
平和記念公園。
現代とその当時のままの姿を残す
原爆ドームのギャップが
歴史の移ろいを感じさせます。
たった一発の爆弾で、
今あるこの平和な景色が
一変してしまうと思うと、
人の気まぐれで操れる兵器で
あってはいけないと感じます。
この建物が身近にあり、
原爆の恐ろしさを一番に
感じられるのが日本人です。
原爆の恐ろしさ、
核の恐ろしさを語り継いでいく為に、
自分には何ができるでしょうか?
「地球上から核兵器廃絶」
日本人だけでなく、全人類の願いとして、
そして一人の人間として、
訴えていきたいことです。
平和記念公園をこうして
訪れることができたのは、
自分にとって大きな財産に
なると思います。
平和について考え、
日本人としての責任を感じました。
次回は広島県の
もう一つの世界遺産、
厳島神社へ向かいます。
ではまた。
<関連記事>
コメントを残す