北海道から再び海を渡り、青森に戻ります。
帰りは酔わなかったよ(^^)
青森は三内丸山遺跡へ。
そもそも日本一周のテーマが
「小学校の教科書に載ってる場所巡り」
だったんですよね、実は。
まぁ完全に自由旅になっちゃってます(笑)
久しぶりにちゃんと教科書ポイントです。
この中ね、めっちゃ広いんですよ。
昔の人ってすごいですよね。
機械なしでこんな大きな穴掘って、建物作れるなんて。
でも僕実はあんまり歴史に興味が持てなくて。
勉強します、はい。
そして岩手に下って行きます。
山道を走って、十和田湖(?)のあたりを走っていると、もう暗くなってきました。
しかし、やばい!
ガソリンが底をつきそうです!
こんな山道で真っ暗闇で立ち往生なんて絶対に嫌です。
できるだけブレーキを踏まず。
でも、そんなことも言ってられない山道を祈る気持ちで進んでいきます。
はぁ、なんとかガソリンスタンドまでたどり着きました。
こういうこと、この旅でよくあるんですが、やっぱガソリンはマメに入れないとですね、はい。
と、いうわけで一晩明けて岩手県。
旅のスタイルは、とりあえず夜に翌日まわる県に入ってしまって、コンビニで観光雑誌を立ち読みします。
それで次の日行きたいところを決めて、その近くの道の駅で寝る。
そんな感じです。
22時に寝て、6時に起きる。
毎日ちゃんと8時間寝られる、健康的でしょ(^^)?
というわけで岩手は
「宮沢賢治童話村」へ。
独特の世界観漂う場所でした。
あいかわらずミーハーな僕ですが、なんだか引き込まれそうな、わかるような、わからないような、
建物の中に入ると、異世界のようでした。
ん〜、うまく言えないな。
不思議な時間でした。
「アメニモマケズ」
初めて全文読みましたが、かっこいい。
かっこよすぎるやん、賢治さん。
アメニモマケズタオル即購入。
めっちゃかっこよくないですか?
そして、震災の爪痕残る宮城県へ。
写真はありませんが、見てきたものを伝えます。
海沿いを走っていると、まだ瓦礫が散乱していたり、
「震災の復旧作業をしています。」の看板をあちこちで見ました。
東日本大震災から2年が経ち、正直もう震災のことは自分の頭の中から薄れていっていました。
大川小学校。
校舎の渡り廊下が捻れて曲がり、窓ガラスはもちろんどこにもついていませんでした。
学校の周りには、大きなトラックが途切れることなく行き交い、工事を続けています。
横倒しになった病院。
「全国の皆様、ありがとうございます!」と書かれた看板。
何故か胸にグサリと刺さりました。
今まで自分は何をしていたんだろう?
この震災の何を知っているんだろう?
勝手に震災を想像して、テレビで流れる映像や情報だけを見て、何がわかった気でいたのでしょうか。
海沿いを走っていると、小さな商店街のようなところを見つけました。
「希望の鐘商店街」
車を停めて、そこにいる人に声をかけてみました。
滋賀から来たという自分に優しくしてくださり、商店街のことを教えてもらいました。
ここは女川町。
町民の10分の1の方々が、震災で亡くなったそうです。
街に通っていた女川駅も津波で潰れ、街のシンボルであった3つの鐘も流されてしまいました。
しかし、奇跡的に1つの鐘が、まだ鳴る状態で見つかったそうです。
その鐘を「希望の鐘」として、ここに商店街を築いたそうです。
家に住めなくなり、仮設住宅で暮らす方も多い中、学校のグランドがあった場所に商店街を作り直したとのこと。
その他にも、被災した当時の様子を写真と一緒に語ってくださったりもしました。
こうやって、直に面と向かってお話を聞くのは、やはりテレビを見て伝わってくるものとは違った何かを感じました。
「また元気になった女川に来てね」
女川はさんまが有名な街だそうです。
僕たちにできることって何でしょうか?
大それたことができるとは思わないし、ボランティアもいいかもしれない。
でも、元気に復旧して、活気付いた街を盛り上げるのは、やっぱり観光客の役目だとおもいます。
また女川を訪れたいとおもいます。
そして、訪れた女川がどうなっているか。
それをまた記事にしたいと思います。
とりあえずそれが僕にできることの一つなのかな。
この日から2年が経っていますが、商店街はどうなっているでしょう?
海外から帰ったら行きたい場所の一つです。
「まげねっちゃ(まけないぞ)」
女川の様子、子どもたちの思いが詰まった一冊です。
3.11
子どもたちにも伝えて行きたいと思います。
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